「竜馬がゆく」~生まれた意味~

 

「竜馬がゆく/司馬遼太郎(全八巻)」を読み終えた。

実は、この本に手を出したのは二度目で一度目は三巻くらいで諦めてしまった。分かる人にはわかると思うが、司馬遼太郎の本は、現代人化した僕にはとっつきにくい言葉が多々あるから、すらすら読むことはできない。

それでも今回何とか3000ページ以上読み終えることができたので、達成感を感じている。

 

ちなみにこの作品が生まれる以前は坂本龍馬という人物は、マイナーな存在で、そこから司馬遼太郎はトラック一台分の本を読み、この作品を作ったそうだ。

この作品が生まれなかったら、人気の歴史偉人ランキングに坂本龍馬がランクインすることはおそらくなかっただろう。

また孫正義、武田鉄矢など多くの人が、この本を読んで人生がかわったと語っている。僕が今回この本を読むきっかけになったのは、それも影響している。

「竜馬がゆく」とはどんな本か?

坂本龍馬の一生を書いた本だが、全て実話というわけではなく司馬遼太郎が膨大な文献を読み漁って得た史実と空想をミックスさせたもの。

空想も含んでいるから龍馬と竜馬を分けているのだと思う。

この司馬遼太郎が生む龍馬像が本当にカッコいい。150年以上昔の日本にこんな男がいたのかと思える。というか幕末の志士はそんな人間がめちゃくちゃ多くこの本にも出てきて震えた。

本の魅力

この本で登場人物や司馬遼太郎の考え・言葉・何をした人なのかを知り、触れることはとてもいい経験になり、読んでよかったと感じた。

全体的なストーリーなどは実際に読んだほうが百聞は一見に如かずということでここでは、僕が感じた本の最大の魅力を伝えたい。

それは長州代表の桂と薩摩代表の西郷の不仲により、薩長連合までもう一歩とういうところで竜馬が薩摩藩邸に乗り込み西郷に発する一言で薩長連合が成立するというシーンである。

じつは、僕がこの本を読む一番のきっかけになったのはこのシーンをYOUTUBEでみたからでもある。

しかも司馬遼太郎自身も

「この一言のふしぎさを書こうとして3000枚近くの枚数を費やしてきたように思える。事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。」

と本の中で明記していた。

 

これは第6巻の「秘密同盟」という話の中に出てくる。これはここまで本を読んだものにしか得ることのできない感情なのでネタバレは控えたい。

 

そしてもうひとつ、最後のシーンの司馬遼太郎が物語を締めくくる文章は読者をラストにふさわしく、今までに味わったことのない新しい感情にしてくれる。

司馬遼太郎の文章力にはそんな力がある。

司馬遼太郎という小説家

生活の大半を膨大な資料の山と格闘しながら、こんなことを呟いていたそうだ。

 

自分の作品は二十二歳の僕への手紙だった。

なぜか?

敗戦の実感はなぜこんなバカな戦争をする国に生まれたか。ということでした。昔の日本人は少しはマシだったのではないか、でなければ民族がここまで続いてきたはずがない。しかし、私は昔の日本人というものがよくわからなかったのです。だから私の作品は1945年8月の自分に対し、少しずつ手紙を出してきたようなものです。

「君は日本人に絶望したが しかし君の言う昔の日本人とはこういうものだったのだ。」

という手紙でした。

「なぜ小説を書くか」より

 

「竜馬がゆく」を読んでいるうちに、司馬遼太郎という小説家となぜこんな作品がいくつもつくれたのかということに興味を持ち調べた。

司馬遼太郎が小説を書くエネルギーは、戦争を体験し日本という国の誇りを失った22歳少年の「日本人とは何か?」という探求心から生まれたものだ。

僕は司馬遼太郎をさらに興味をもち、この人の作品をもっと読んでみたいと思った。そして同時にこう思った。

司馬遼太郎は日本の誇りだと。